ハイコンテクストによる成果の評価

ハイコンテクストという言葉を、度々インターネットや書籍で見ることがあります。最近になって、よく見るので、調べて見るとともに、思ったことを投稿したいと思います。

ハイコンテクストとは

ハイコンテクストとは、概ね以下のことである。

ハイコンテクスト文化とは「空気を読む文化」と言い換えることができる。前提となるお互いの文脈(言語や価値観、考え方など)が非常に近い状態のことで、コミュニケーションの際に互いに相手の意図を察し合うことで、「以心伝心」でなんとなく通じてしまう環境や状況のことだ。このような文化では、伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことで、なんとなく通じてしまう。

https://blogs.itmedia.co.jp/itsolutionjuku/2020/07/post_821.html

少し前の言い方でいうと「気がきく」、現代風に言えば「空気が読める」、職場などでは「あいつは痒いところに手が届くやつだ」などと言われることが、ハイコンテクストということになる。

ただ、このハイコンテクストが難解と思われる。この主観に基づいてなされる判断には、明確な判断基準がないため、ある人にとってはハイコンテクストであっても、別の人にはそうでない(=ローコンテクスト)になるという点だ。

https://www.works-i.com/works/item/w161_toku.pdf

ハイコンテクストの強み

当然ながら、ハイコンテクストがある人と一緒に働いたり何かをするには、効率が良い。事前に、あれこれ背景の説明や結論着けるまでの誘導がなくとも、自分の状況を把握して、意見を擦り合わせてきてくれるからだ。いわゆる、忖度してくれるという状態である。

忖度される側としては、あれこれ指示せずに自分の理想の状態を作り出してくれるので、非常に気持ちが良い。

ハイコンテクストの問題

一方で、ハイコンテクストにも問題がある。

まず、第一にハイコンテクストが正しいかどうかは、相手次第で簡単に変わる上に、正しい所作のためのコミュニケーションコストが膨大となることだ。

今時の職場ではないと思うが、上司にお茶を出す職場があったとする。世間では、ウイルスが流行し始めている。

いつも通りお茶を出す、加えて、寒い日であればやや熱めのお茶にしておけば、ハイコンテクストと言えるだろう。

日頃からウイルス対策にうるさい上司であれば、ウイルス感染防止のために、今日はお茶を出すことは避けますね、と言って辞めれば、ある程度はハイコンテクストと言えるだろう。

では、もしウイルス対策にうるさくない上司が、今朝のニュースでウイルス感染拡大防止には、他人との接触を極力控えることが重要。物の受け渡しには、要注意などという情報を仕入れていたら、どうだろう。

いつもお茶を出している社員は、その上司がそもそもどのニュースをいつも見ているか把握しなければならないし、そのニュースを毎日チェックした上で、その上司がニュースの情報通りウイルス感染防止対策に興味があって、今日はお茶を出さない方が良いかまで正しく判断しなければ、ハイコンテクストと言えるような結末を迎えることは困難だろう。

たったお茶を出すか出さないかという一つの所作に対して、これだけのコストがかかるのだから、複数のメンバと協力しながらチームで仕事する人に至っては、ハイコンテクストにかかるコストは膨大となり、本来の業務とは異なる部分で疲弊し、仕事のパフォーマンスは工場するどころか、急激に低下する。

ハイコンテクストと日本企業

これまでの日本企業は、ハイコンテクストの恩恵を存分に味わいながら、組織が構築され、成果をあげ、業績を伸ばしてきたと考えられる。

だが、価値観が多様化する日本において、ハイコンテクスト前提の組織は発展しないと考えられる。

これまでは正解と思われた言動が正解ではなくなるため、ハイコンテクスト前提としていた組織では、今までには発生していなかった新たな軋轢や障害が発生し、生産性が低下するためである。

まとめ

したがって、これからは、自分の価値観を把握した上で、自分の主張を的確に相手に伝え、周囲の意見や主張を踏まえつつ、相手やチームと調整しながら組織を形成できる企業が発展していくのではないだろうか。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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